城の再発見!天守が建てられた本当の理由 - 2008/10

歴史の奥底に封印された「凶暴なる実像」をサルベージ!!
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城の再発見!天守が建てられた本当の理由
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2008年10月
     
 

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2008年10月27日(Mon)▲ページの先頭へ
城の再発見!リポートこぼれ話#2




いまだに解明しきれない豊臣時代の大坂城天守

完成間近のリポートに関連して、ある歴史的な「混迷」についてチョットご紹介します。


下に並べてみたのは、幻の豊臣時代の大坂城天守について、その復元研究の歩みが分かりやすく表紙等に描かれた本です。







左の本は、1936年(昭和11年!!)に豊臣時代の本丸平面図(『城塞繹史』)を発見した故・櫻井成廣先生が、自作の大型模型の写真を載せた本です。

この模型の写真は、1970年の著作『豊臣秀吉の居城 大阪城編』等にも同じ写真が載っています。

櫻井先生は『大坂冬の陣図屏風』『大坂夏の陣図屏風』という二つの屏風絵に描かれた天守を“融合”させて、写真のような復元をしました。
(※下に拡大写真あります)



中央の本は、昭和50年代に、かの安土城天主の復元論争(vs内藤晶先生)で知られた、建築家の故・宮上茂隆先生による復元です。

宮上先生は、上記の二つの屏風絵のうち、『大坂夏の陣図屏風』がより正しい描写であると提唱し、それに基づいた復元をしました。




そして右の本は、いま城郭研究でめざましい活躍を見せている、広島大学の三浦正幸先生による復元です。

三浦先生は、上記の二つの屏風絵の天守が、あまりにも建築的特徴が異なっている、という「矛盾」に対処するため、二種類の復元図を示しておられます。

表紙のCG画像は、その二つのうち『大坂夏の陣図屏風』に基づく方の復元ですが、上記の宮上先生の復元ともかなり違うものになっています。




このように豊臣時代の大坂城天守の復元においては、二つの屏風絵の「矛盾」を克服するために、いずれの城郭研究者の方々も、多大なる労力を費やして来たのです。

そして結局のところ、いまだに、この矛盾を解決する決定的な論拠は見出されていません。



右カラムにある「渾身の第1弾《無料》リポート」「驚異の2008冬季リポート」は、そうした大坂城天守の復元をめぐる紆余曲折を、一気に整理し直そうという、大胆不敵な試みでもあります。

城郭ファンはもちろん、城郭研究者の方々にとっても“コロンブスの卵”のような仮説と指摘を多数盛り込んでおります。近日公開!!




作画と著述=横手聡(テレビ番組「司馬遼太郎と城を歩く」ディレクター)


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2008年10月17日(Fri)▲ページの先頭へ
城の再発見!リポートこぼれ話#1



新設HPやリポートそのものの完成を急いでいる最中に、「こぼれ話」もないだろうとは思いますが、ブログ画面でご覧の「絵」についてチョットご紹介します。

これらの天守の絵はphotoshopで描いております。


サイトを作ろうと考え始めた2年前、3DのCGを勉強すべきか、2Dで描いていこうか迷った時期がありましたが、参考本にphotoshop1本で建築パースを描いている記事があり、そのレトロ調が「いにしえの天守」を蘇らせるにイイのではないかと感じました。



実際の制作は、ご覧のように、長年作ってきた333分の1スケールの城郭模型(写真は制作途中のもの)をベースにして画像化しています。

城郭マニアの方にはすぐ見抜かれてしまうと思いますが、細かいところで色々と修正しながら描きました。

極楽橋から入った奥の石塁、淀殿の屋敷、豊国廟の鳥居、菱櫓のサイズなど、模型と画像には制作の時期差があるため、自らの研究成果が色々と反映されています。

(※詳しくは第1弾《無料》リポートでご紹介しています。完成あと一歩です!)



結果的に、2年前にphotoshopを選択したのは良かったのではと思っています。

幼少期にプラモデル世代だった私にとっては、出来上がった天守の絵が、プラモデル箱で馴染んだ小松崎茂さんの絵のようにも見えてくるからです。

今後さらに描いていく予定の天守は、いずれも現存しないものばかりを予定しています。

そして、それらは建築的復元というよりは、安土桃山期から江戸初期の武家や領民にとって「天守はどういう存在として見えたか?」を主眼に描きたいと努めています。

その意味でも、今後もphotoshopのレトロ調を維持しつつ、ある程度の枚数が集積したあかつきには、「天守画」というジャンルとして集大成できたら、と願望はふくらむ一方です。



作画と著述=横手聡(テレビ番組「司馬遼太郎と城を歩く」ディレクター)


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2008年10月11日(Sat)▲ページの先頭へ
城の再発見!リンク集をアップ



リポートや新設HPの完成を急いでおりますが、並行してブログの工事も進行中です。
アップしたリンク集はさらに充実を図り、今後は、

「現存天守の鑑賞ポイント写真集」

「天守台の鑑賞(!?)ポイント写真集」

「リポートこぼれ話」

「インタビュー にっぽん城郭研究者 列伝」
 (…奇しくも同じ住宅地の故・櫻井成廣先生をはじめ、
   草創期の研究者から現役バリバリの先生方まで)


といった記事を展開してみたいと
考えております。


【Myリンク集】は表ページにあります。



作画と著述=横手聡(テレビ番組「司馬遼太郎と城を歩く」ディレクター)


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2008年10月09日(Thu)▲ページの先頭へ
城の再発見!お知らせ



作画と著述=横手聡(テレビ番組「司馬遼太郎と城を歩く」ディレクター)

公開が当初の予告より一ヶ月以上遅れております。技術的な課題クリアのための新設HPとの連動工事は、ただいま最終盤です。近日公開予定!!


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