城の再発見!天守が建てられた本当の理由 - 2008/10

歴史の奥底に封印された「凶暴なる実像」をサルベージ!!
カテゴリ
城の再発見!天守が建てられた本当の理由
城の再発見!天守が建てられた本当の理由/一覧 (263)



全エントリ記事の一覧はこちら

2008年10月
     
 

新着エントリ
城の再発見!さらなる『江戸始図』の補足を。「刻印」優先論との深刻きわまりないバッティング (10/18)
城の再発見!『江戸始図』の「小天守」はどこに消え失せたのか?? (10/13)
城の再発見!家康が本当に好んだ天守の姿から問う、「江戸始図」解釈への疑問点 (9/29)
城の再発見!「京の城」の伝統的な天守の位置 →聚楽第の「北西隅」はむしろ新機軸の異端か (9/16)
城の再発見!ポルトガル海上帝国と「川の城」岐阜城 →あえて「C地区」の構造的な欠陥を疑うと… (9/1)
城の再発見!フロイスの岐阜城訪問記には金箔の「瓦」とはどこにも書いてない (8/17)
城の再発見!どうして岐阜城で「織田系」金箔瓦が発見されないか (8/3)
続々・甲府城「天守」のゆくえ →金箔付きシャチ瓦も「徳川包囲網」の目印だったのか?… (7/20)
城の再発見!続・甲府城「天守」のゆくえ →再訪の直感、天守台「穴倉」の内側も“見られること”を意識している (7/8)
城の再発見!甲府城「天守」のゆくえ →躑躅(つつじ)ヶ崎館の天守台との関係はどうなっていたのか (6/25)
城の再発見!近世城郭の「完全否定」で籠城戦に勝てたのが熊本城か (6/12)
城の再発見!これもコンクリート天守の「魔力」がなせる技か… 熊本城天守のすばやい解体と復旧 (5/29)
城の再発見!目的地は“東アジアの下克上”か?…満洲族と日本の17世紀「新興軍事政権」 (5/19)
城の再発見!肥前名護屋城の出現と「小中華意識」に没入した李氏朝鮮の無反応 (5/4)
城の再発見!「布武」には「我が道を歩む」の意味があったなら、死ぬまで「天下布武」印を使い続けたのも納得。 (4/22)
城の再発見!中国では古来、兵が蔑視(べっし)されて来たという『<軍>の中国史』から (4/10)
城の再発見!せまい本丸で聚楽第行幸は実現可能だったか?を図上演習してみる (3/24)
城の再発見!大名屋敷の面積や伝承地名をふまえて清書(リライト)すると… (3/11)
城の再発見!言いそびれてしまった聚楽第の話題を、一回だけ追加させて下さい (2/28)
城の再発見!伝二ノ丸に?「我らヨーロッパの庭園とは万事において異なるその清浄で広大な庭」があれば… (2/14)
城の再発見!加藤先生の新刊本はまたも、いろいろと別の考え方をインスパイアさせてくれる本でした (1/30)
城の再発見!探査で判明した聚楽第「外堀」は、まだ櫓等が完成していなかったとすれば… (1/17)
城の再発見!続報――『探幽縮図(たんゆうしゅくず)』がなかなかに興味深い (1/3)
城の再発見!手早く筆写された『探幽縮図(たんゆうしゅくず)』がなかなかに興味深い (12/21)
城の再発見!問題の「加賀少将邸」四重櫓と萩城天守との構造的な“類似”から言えること (12/7)
城の再発見!聚楽第天守台の謎解き【案】→どこが天下人の「宿所」かの変遷(へんせん)から (11/23)
城の再発見!加藤先生の『日本から城が消える』との懸念には、もう一つのおぞましき結論も? (11/6)
城の再発見!信雄(のぶかつ)時代の清須城も? 外様の大大名の城はそろって「小天守」のみか (10/26)
城の再発見!大和郡山城天守をそのまま移築した徳川家康の「ねらい」が見えた (10/12)

新着トラックバック/コメント

にほんブログ村 歴史ブログ 戦国時代へ

アーカイブ
2008年 (9)
10月 (4)
11月 (2)
12月 (3)
2009年 (52)
1月 (4)
2月 (4)
3月 (4)
4月 (4)
5月 (4)
6月 (5)
7月 (4)
8月 (5)
9月 (4)
10月 (4)
11月 (5)
12月 (5)
2010年 (28)
1月 (3)
2月 (3)
3月 (2)
4月 (2)
5月 (2)
6月 (3)
7月 (2)
8月 (2)
9月 (2)
10月 (3)
11月 (2)
12月 (2)
2011年 (24)
1月 (1)
2月 (2)
3月 (2)
4月 (2)
5月 (2)
6月 (3)
7月 (2)
8月 (2)
9月 (2)
10月 (2)
11月 (2)
12月 (2)
2012年 (26)
1月 (2)
2月 (2)
3月 (3)
4月 (2)
5月 (2)
6月 (2)
7月 (3)
8月 (2)
9月 (2)
10月 (2)
11月 (2)
12月 (2)
2013年 (26)
1月 (2)
2月 (2)
3月 (3)
4月 (2)
5月 (2)
6月 (2)
7月 (2)
8月 (2)
9月 (3)
10月 (2)
11月 (2)
12月 (2)
2014年 (24)
1月 (2)
2月 (2)
3月 (3)
4月 (2)
5月 (2)
6月 (2)
7月 (2)
8月 (2)
9月 (2)
10月 (2)
11月 (2)
12月 (1)
2015年 (26)
1月 (2)
2月 (2)
3月 (2)
4月 (2)
5月 (3)
6月 (2)
7月 (2)
8月 (2)
9月 (2)
10月 (2)
11月 (3)
12月 (2)
2016年 (25)
1月 (2)
2月 (1)
3月 (3)
4月 (2)
5月 (2)
6月 (2)
7月 (2)
8月 (3)
9月 (2)
10月 (2)
11月 (2)
12月 (2)
2017年 (23)
1月 (3)
2月 (2)
3月 (2)
4月 (2)
5月 (3)
6月 (2)
7月 (2)
8月 (2)
9月 (3)
10月 (2)


アクセスカウンタ
今日:2,038
昨日:2,207
累計:2,205,460


RSS/Powered by 「のブログ

2008年10月27日(Mon)▲ページの先頭へ
城の再発見!リポートこぼれ話#2




いまだに解明しきれない豊臣時代の大坂城天守

完成間近のリポートに関連して、ある歴史的な「混迷」についてチョットご紹介します。


下に並べてみたのは、幻の豊臣時代の大坂城天守について、その復元研究の歩みが分かりやすく表紙等に描かれた本です。







左の本は、1936年(昭和11年!!)に豊臣時代の本丸平面図(『城塞繹史』)を発見した故・櫻井成廣先生が、自作の大型模型の写真を載せた本です。

この模型の写真は、1970年の著作『豊臣秀吉の居城 大阪城編』等にも同じ写真が載っています。

櫻井先生は『大坂冬の陣図屏風』『大坂夏の陣図屏風』という二つの屏風絵に描かれた天守を“融合”させて、写真のような復元をしました。
(※下に拡大写真あります)



中央の本は、昭和50年代に、かの安土城天主の復元論争(vs内藤晶先生)で知られた、建築家の故・宮上茂隆先生による復元です。

宮上先生は、上記の二つの屏風絵のうち、『大坂夏の陣図屏風』がより正しい描写であると提唱し、それに基づいた復元をしました。




そして右の本は、いま城郭研究でめざましい活躍を見せている、広島大学の三浦正幸先生による復元です。

三浦先生は、上記の二つの屏風絵の天守が、あまりにも建築的特徴が異なっている、という「矛盾」に対処するため、二種類の復元図を示しておられます。

表紙のCG画像は、その二つのうち『大坂夏の陣図屏風』に基づく方の復元ですが、上記の宮上先生の復元ともかなり違うものになっています。




このように豊臣時代の大坂城天守の復元においては、二つの屏風絵の「矛盾」を克服するために、いずれの城郭研究者の方々も、多大なる労力を費やして来たのです。

そして結局のところ、いまだに、この矛盾を解決する決定的な論拠は見出されていません。



右カラムにある「渾身の第1弾《無料》リポート」「驚異の2008冬季リポート」は、そうした大坂城天守の復元をめぐる紆余曲折を、一気に整理し直そうという、大胆不敵な試みでもあります。

城郭ファンはもちろん、城郭研究者の方々にとっても“コロンブスの卵”のような仮説と指摘を多数盛り込んでおります。近日公開!!




作画と著述=横手聡(テレビ番組「司馬遼太郎と城を歩く」ディレクター)


にほんブログ村 歴史ブログ 戦国時代へ

人気ブログランキングへ





2008年10月17日(Fri)▲ページの先頭へ
城の再発見!リポートこぼれ話#1



新設HPやリポートそのものの完成を急いでいる最中に、「こぼれ話」もないだろうとは思いますが、ブログ画面でご覧の「絵」についてチョットご紹介します。

これらの天守の絵はphotoshopで描いております。


サイトを作ろうと考え始めた2年前、3DのCGを勉強すべきか、2Dで描いていこうか迷った時期がありましたが、参考本にphotoshop1本で建築パースを描いている記事があり、そのレトロ調が「いにしえの天守」を蘇らせるにイイのではないかと感じました。



実際の制作は、ご覧のように、長年作ってきた333分の1スケールの城郭模型(写真は制作途中のもの)をベースにして画像化しています。

城郭マニアの方にはすぐ見抜かれてしまうと思いますが、細かいところで色々と修正しながら描きました。

極楽橋から入った奥の石塁、淀殿の屋敷、豊国廟の鳥居、菱櫓のサイズなど、模型と画像には制作の時期差があるため、自らの研究成果が色々と反映されています。

(※詳しくは第1弾《無料》リポートでご紹介しています。完成あと一歩です!)



結果的に、2年前にphotoshopを選択したのは良かったのではと思っています。

幼少期にプラモデル世代だった私にとっては、出来上がった天守の絵が、プラモデル箱で馴染んだ小松崎茂さんの絵のようにも見えてくるからです。

今後さらに描いていく予定の天守は、いずれも現存しないものばかりを予定しています。

そして、それらは建築的復元というよりは、安土桃山期から江戸初期の武家や領民にとって「天守はどういう存在として見えたか?」を主眼に描きたいと努めています。

その意味でも、今後もphotoshopのレトロ調を維持しつつ、ある程度の枚数が集積したあかつきには、「天守画」というジャンルとして集大成できたら、と願望はふくらむ一方です。



作画と著述=横手聡(テレビ番組「司馬遼太郎と城を歩く」ディレクター)


にほんブログ村 歴史ブログ 戦国時代へ

人気ブログランキングへ



2008年10月11日(Sat)▲ページの先頭へ
城の再発見!リンク集をアップ



リポートや新設HPの完成を急いでおりますが、並行してブログの工事も進行中です。
アップしたリンク集はさらに充実を図り、今後は、

「現存天守の鑑賞ポイント写真集」

「天守台の鑑賞(!?)ポイント写真集」

「リポートこぼれ話」

「インタビュー にっぽん城郭研究者 列伝」
 (…奇しくも同じ住宅地の故・櫻井成廣先生をはじめ、
   草創期の研究者から現役バリバリの先生方まで)


といった記事を展開してみたいと
考えております。


【Myリンク集】は表ページにあります。



作画と著述=横手聡(テレビ番組「司馬遼太郎と城を歩く」ディレクター)


にほんブログ村 歴史ブログ 戦国時代へ



2008年10月09日(Thu)▲ページの先頭へ
城の再発見!お知らせ



作画と著述=横手聡(テレビ番組「司馬遼太郎と城を歩く」ディレクター)

公開が当初の予告より一ヶ月以上遅れております。技術的な課題クリアのための新設HPとの連動工事は、ただいま最終盤です。近日公開予定!!


にほんブログ村 歴史ブログ 戦国時代へ