城の再発見!「金頂」の御座としての最上階を想像する


カテゴリ
城の再発見!天守が建てられた本当の理由
城の再発見!天守が建てられた本当の理由/一覧 (265)



全エントリ記事の一覧はこちら

2014年7月
   
19
   

新着エントリ
城の再発見!続『モンタヌス日本誌』→大坂城天守の記録はまさに「駿府城天守」のことか (11/17)
城の再発見!今回は『江戸始図』の補強になるか?『モンタヌス日本誌』の挿絵は予想外に写実的 (11/5)
城の再発見!さらなる『江戸始図』の補足を。「刻印」優先論との深刻きわまりないバッティング (10/18)
城の再発見!『江戸始図』の「小天守」はどこに消え失せたのか?? (10/13)
城の再発見!家康が本当に好んだ天守の姿から問う、「江戸始図」解釈への疑問点 (9/29)
城の再発見!「京の城」の伝統的な天守の位置 →聚楽第の「北西隅」はむしろ新機軸の異端か (9/16)
城の再発見!ポルトガル海上帝国と「川の城」岐阜城 →あえて「C地区」の構造的な欠陥を疑うと… (9/1)
城の再発見!フロイスの岐阜城訪問記には金箔の「瓦」とはどこにも書いてない (8/17)
城の再発見!どうして岐阜城で「織田系」金箔瓦が発見されないか (8/3)
続々・甲府城「天守」のゆくえ →金箔付きシャチ瓦も「徳川包囲網」の目印だったのか?… (7/20)
城の再発見!続・甲府城「天守」のゆくえ →再訪の直感、天守台「穴倉」の内側も“見られること”を意識している (7/8)
城の再発見!甲府城「天守」のゆくえ →躑躅(つつじ)ヶ崎館の天守台との関係はどうなっていたのか (6/25)
城の再発見!近世城郭の「完全否定」で籠城戦に勝てたのが熊本城か (6/12)
城の再発見!これもコンクリート天守の「魔力」がなせる技か… 熊本城天守のすばやい解体と復旧 (5/29)
城の再発見!目的地は“東アジアの下克上”か?…満洲族と日本の17世紀「新興軍事政権」 (5/19)
城の再発見!肥前名護屋城の出現と「小中華意識」に没入した李氏朝鮮の無反応 (5/4)
城の再発見!「布武」には「我が道を歩む」の意味があったなら、死ぬまで「天下布武」印を使い続けたのも納得。 (4/22)
城の再発見!中国では古来、兵が蔑視(べっし)されて来たという『<軍>の中国史』から (4/10)
城の再発見!せまい本丸で聚楽第行幸は実現可能だったか?を図上演習してみる (3/24)
城の再発見!大名屋敷の面積や伝承地名をふまえて清書(リライト)すると… (3/11)
城の再発見!言いそびれてしまった聚楽第の話題を、一回だけ追加させて下さい (2/28)
城の再発見!伝二ノ丸に?「我らヨーロッパの庭園とは万事において異なるその清浄で広大な庭」があれば… (2/14)
城の再発見!加藤先生の新刊本はまたも、いろいろと別の考え方をインスパイアさせてくれる本でした (1/30)
城の再発見!探査で判明した聚楽第「外堀」は、まだ櫓等が完成していなかったとすれば… (1/17)
城の再発見!続報――『探幽縮図(たんゆうしゅくず)』がなかなかに興味深い (1/3)
城の再発見!手早く筆写された『探幽縮図(たんゆうしゅくず)』がなかなかに興味深い (12/21)
城の再発見!問題の「加賀少将邸」四重櫓と萩城天守との構造的な“類似”から言えること (12/7)
城の再発見!聚楽第天守台の謎解き【案】→どこが天下人の「宿所」かの変遷(へんせん)から (11/23)
城の再発見!加藤先生の『日本から城が消える』との懸念には、もう一つのおぞましき結論も? (11/6)

新着トラックバック/コメント

にほんブログ村 歴史ブログ 戦国時代へ

アーカイブ
2008年 (9)
10月 (4)
11月 (2)
12月 (3)
2009年 (52)
1月 (4)
2月 (4)
3月 (4)
4月 (4)
5月 (4)
6月 (5)
7月 (4)
8月 (5)
9月 (4)
10月 (4)
11月 (5)
12月 (5)
2010年 (28)
1月 (3)
2月 (3)
3月 (2)
4月 (2)
5月 (2)
6月 (3)
7月 (2)
8月 (2)
9月 (2)
10月 (3)
11月 (2)
12月 (2)
2011年 (24)
1月 (1)
2月 (2)
3月 (2)
4月 (2)
5月 (2)
6月 (3)
7月 (2)
8月 (2)
9月 (2)
10月 (2)
11月 (2)
12月 (2)
2012年 (26)
1月 (2)
2月 (2)
3月 (3)
4月 (2)
5月 (2)
6月 (2)
7月 (3)
8月 (2)
9月 (2)
10月 (2)
11月 (2)
12月 (2)
2013年 (26)
1月 (2)
2月 (2)
3月 (3)
4月 (2)
5月 (2)
6月 (2)
7月 (2)
8月 (2)
9月 (3)
10月 (2)
11月 (2)
12月 (2)
2014年 (24)
1月 (2)
2月 (2)
3月 (3)
4月 (2)
5月 (2)
6月 (2)
7月 (2)
8月 (2)
9月 (2)
10月 (2)
11月 (2)
12月 (1)
2015年 (26)
1月 (2)
2月 (2)
3月 (2)
4月 (2)
5月 (3)
6月 (2)
7月 (2)
8月 (2)
9月 (2)
10月 (2)
11月 (3)
12月 (2)
2016年 (25)
1月 (2)
2月 (1)
3月 (3)
4月 (2)
5月 (2)
6月 (2)
7月 (2)
8月 (3)
9月 (2)
10月 (2)
11月 (2)
12月 (2)
2017年 (25)
1月 (3)
2月 (2)
3月 (2)
4月 (2)
5月 (3)
6月 (2)
7月 (2)
8月 (2)
9月 (3)
10月 (2)
11月 (2)


アクセスカウンタ
今日:3,167
昨日:2,766
累計:2,269,777


RSS/Powered by 「のブログ

2014年07月19日(Sat)
< 城の再発見!再吟味!「五... < 城の再発見!六重目(五階)... | 天守の発祥/岐阜城・旧二条城/織田信長の「立体的御殿」/一覧 | 城の再発見!続「金頂」の... > 城の再発見!続々「金頂」...
城の再発見!「金頂」の御座としての最上階を想像する





「金頂」の御座としての最上階を想像する


(木戸雅寿「天主から天守へ」/『信長の城・秀吉の城』2007年より)

天守とはいったいどう言う意味で作られ、それが何なのかということを、理解できている人はなかなかいない。天守がどういう成立過程を踏んでできてきたものなのかということを、お話いただけませんかというような話になりますと、これをなかなかうまく説明できる人は少ない。
実は今の城郭研究の分野の中でも、天守の研究はある意味、混とんとしている部分があり、そのような状況が続いております。



安土城発掘の木戸雅寿先生がシンポジウムでこう発言されたのは、当ブログがスタートした前々年でしたが、その「混とん」を打破する突破口の一つは、かつて内藤昌先生が安土城天主を評した言葉であり、かつ三浦正幸先生も改めて指摘された「立体的御殿」というキーワードに他ならないでしょう。




で、当ブログはご覧のように、織田信長が構想した「立体的御殿」の各階のねらい(性格づけ)について、あえて岐阜城の四階建て楼閣と山頂天守を一体化して、安土城天主につながる「七重」として考えることから、アレコレと申し上げて来ました。

その山頂天守は、宣教師の記録に「欧州の塔の如し。此より眺望すれば美濃の過半を見る」(日本西教史)と書かれた以上は、複数階の建物であったことは間違いないのでしょうが、二階以上(最上階)の具体的な様子に関しては文献上にヒントも残されておらず、関ヶ原合戦の頃の二重天守らしき絵図や、加納城に移築された御三階櫓の図などを除くと、あとはもう信長当時のこと(特に内部について)は想像でしか語ることが出来ません。


これはおそらく、山頂天守の二階は、日常的に出入りできた信長の家族しか目撃のチャンスも無く、それ以外の者は、断じて信長が立ち入らせなかったからではないかと感じています。

余談ながら、その観点で申しますと、フロイスとロレンソに茶を運んだ信長の「次男」「十一歳くらい」の「お茶箋(ちゃせん)」は申すまでもなく後の織田信雄であり、彼が本能寺の変の直後に、安土城主郭部に火を放ったとされているわけですから、やはり彼は、信長の天主の中で何かを見ていたのかもしれません。

(※なにしろ、前回の記事のごとく、もしも六重目がアマテラスとスサノオにちなんだ階だとすれば、その上の七重目は、これはもう「天地開闢(かいびゃく)」か何かの、この世の始まりを示した階か、それとも全く別の角度からのアプローチによる階だったのか…)


いずれにしましても、岐阜城の方の最上階は想像で語るしかない、となりますと、残る有効な手立ては「逆算」ということにならざるをえないでしょう。



当サイト仮説の安土城天主の六重目・七重目(最上階)


ご覧の金づくしの七重目は、松岡利郎先生の復元模型(→関連記事)に勇気をいただいてイラスト化したものですが、思えば何故、天主(立体的御殿)の最上階だけ金でおおわれたのか? その目的や由来は? という、当たり前のようで誰も真剣に問うたことの無い疑問に、こうなるとブチ当たらざるをえないようです。

そういう中で想起されるのは、かつて宮上茂隆先生が指摘された、かの「金閣」の本来の姿でしょう。


宮上先生の考察による本来の金閣(『週刊 朝日百科』日本の歴史1986年より引用)


同じ宮上先生の著書『金閣寺・銀閣寺』1992年によれば、応永4年の創建時から昭和25年の有名な放火焼失事件まで、金閣の二階は、内外ともに黒漆塗りの状態がずっと続いたのであり、総金箔張りは常に三階の最上階だけであったはず、としています。


しかし現実には、事件後の再建のおりに、寺外に流出して花生けに加工された一木片が金箔張りのような色をしていたことを根拠として(!!…)、それは二階の隅木の古材であり、かつては二階も金箔張りであったと村田治郎博士らが考証して、そんな“過去の姿”を取りもどす名目で現状のように再建されました。

ですから、その再建方法に異論を唱えた宮上先生の指摘どおりならば、金閣もまた、本来は <金でおおわれたのは最上階だけ> であったことになります。


左写真:再建された現状の金閣                  



中国大陸の各地にある「金頂」

道教の総本山・武当山の金頂の金殿 / 峨眉山の金頂の金殿(近年の修築)


雲南省・鶏足山の金頂寺(近年の修築) / チベットのトゥルナン寺の金頂


そこで、ここでちょっと視点を変えまして、中国大陸の各地には、道教の山岳寺院を中心として、山頂の小堂だけを金でおおった銅製の建物(具体的には真武大帝の廟や観音堂など)にした「金頂」が、様々に設けられて来ました。


「金頂」というのは、厳密には山頂にある特定の場所を示す言葉のようで、本来は金色の建物や屋根だけを示す言葉ではなかったみたいですが、現実の漢字世界では例えばエルサレムの岩のドームなども「金頂」と言ってしまっていて、厳格ではありません。

またご覧の写真のうち、右下のトゥルナン寺は山頂に位置しているわけではありませんが、チベットのラサ(海抜は富士山頂とほぼ同じ)という立地を考慮すれば、どれも“極めて高い場所”であるのは間違いのないところです。


そして今回の記事の注目ポイントとしては、そうした山岳寺院の中で「金頂」が設けられた最高峰の山は、どれも「天柱峰」と呼ばれていることでしょう。


天柱峰の「天柱」には「この世を支える道義」という意味があるそうです。

ということは、言い直しますと、山岳寺院の中心に「この世」や「天」を支える「道義」のごとき「柱」である最高峰がそびえていて、その頂点に「金頂」が輝いていた、という関係になるわけです。


「金頂」と「天柱峰」はセットのような関係か…(写真は武当山の場合)


!! これはお気付きのとおり、我々の「天守」という名称とも、一脈、通じているかのような現象であって、たいへんに興味深いことだと感じます。


冒頭の文章の木戸先生によれば、我が国で当初「殿主」「殿守」「天主」と様々に表記されていた「てんしゅ」が、「天守」という表記に統一されたのは豊臣政権の時だそうです。

ですから、日本国内の再統一を成し遂げた豊臣政権にとって、「天守」という表記が、もしも天柱峰と金頂の関係にヒントを得たものだったとするなら、それは取りも直さず、豊臣政権の安泰と永続性をねがう意図が込められた表記であったのでしょう。


天柱峰と、金頂と、我々の「天守」と…

このような関係に注目して想像力を働かせますと、その結果、どうしても申し上げておくべき核心部分の仮説に行き当たりまして、それはすなわち…

<織田信長が構想した天主(立体的御殿)は基本的に最頂部を金でおおうものであった>

ということです。!!?…


ふりかえって前述の「金閣」ですが、本来、金でおおわれたのは最上階だけ、という宮上先生の指摘に寄り添えば、放火事件後の再建された姿は一見、華やかで印象がいいようでいて、その実、「なぜ金で階をおおうのか?」という、そもそもの「意味」を解らなくしてしまったのではないか… その姿を見続ける現代人に、今後どれほどの(悪)影響を残すのだろうか… という思いもしてまいります。

そこで、そんな状況に一矢を報いるため、今回の記事の最後には、こんな想像を付け加えてみても構わないのではないでしょうか。



小牧山城や、岐阜城の山頂天守も、最上階はすでに金色に輝いていたはずである

何故なら、それが信長の「立体的御殿」の構想なのだから…


(次回に続く)





作画と著述=横手聡(テレビ番組「司馬遼太郎と城を歩く」ディレクター)


※ぜひ皆様の応援を。下のバナーに投票(クリック)をお願いします。

にほんブログ村 歴史ブログ 戦国時代へ

※当サイトはリンクフリーです。

※本日もご覧いただき、ありがとう御座いました。


writebacks(0)
トラックバック(trackback)
TrackBack ping me at:

コメント(comment)
名前(*):
URL/Email: (optional)
タイトル(*):
コメント内容(*):
画像認証(*): 表示された画像の文字を入力してください:

名前と URL/Email をcookieで保存