城の再発見!加藤先生の『日本から城が消える』との懸念には、もう一つのおぞましき結論も?


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2016年11月06日(Sun)
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城の再発見!加藤先生の『日本から城が消える』との懸念には、もう一つのおぞましき結論も?






加藤先生の『日本から城が消える』との懸念には、もう一つのおぞましき結論も?




ご覧の加藤理文先生の著書『日本から城が消える』はこの夏に出版されたものですが、刺激的なタイトルに示された懸念については、これまでに当ブログもそれに近い話題(「コンクリート天守」云々…)を記事にして来たため、まことに遅ればせながら、この本についての感想を手短かに申し上げてみたく存じます。


この本は表紙の黄色い帯で「名古屋城、江戸城の再建はほんとうに可能なのか?」という話題のテーマをキャッチコピーにしながらも、内容的には、明治時代から最近までの城郭再建の歩みを網羅(もうら)的にまとめておられます。

とりわけ全国の「コンクリート天守」の耐用年数が終わりつつある問題や、掛川城・大洲城・金沢城などの木造復元の実情(いくつもの妥協があったこと)を紹介しつつ、いま話題の天守の木造再建が「費用や材料の問題以前に、じつは法律の問題が大きく横たわっているにもかかわらず、報道ではまったくふれられていない」ことに焦点を当てたものです。



(同書「はじめに」より)

戦後、城が復興されたときの法律と、今の法律はまったく異なってしまった。

より安全性や利便性が優先された法改正は、「文化」を置き去りにしてしまったのである。

城は、文化財保護法だけではなく、建築基準法や消防法等、一般住宅のために制定された法律の対象となったのである。




つまり、城やその中の天守というのは、本来ならば法隆寺の夢殿や平等院の鳳凰堂などと同類の、我が国の歴史・文化的な「遺産」のはずなのに、高度経済成長期の観光開発として「コンクリート天守」などが重宝(ちょうほう)された結果、今ではそこに消防法!!! までが適用される実態を、加藤先生はこの本でつまびらかにしておられます。

そうした環境の下では、本家本元のはずの現存十二天守は、言わば現行法の規制の対象外として、仕方なく認められたクラシックカーのごとき存在だと分かるのです。!!

ですから話題の名古屋城など、これから木造で天守を再建しようにも、またはコンクリートのまま建て替えようにも、実は「法律」の強力な壁で建て替えられない(→解体したら、もうそのまま消えるしかない)というケースが、全国でいくつも出現する可能性があり、そのため <消える城の危険度> を検証したくだりは、この本の最大の見どころでしょう。


加藤先生が、消滅の時期が最も早い存在、と予想した洲本城の模擬天守



さらに加藤先生は、中世城郭の土の城を含めて、多くの城跡が“公園”と見なされてバリアフリー化していく大きな矛盾についても指摘し、それらが相まって、『日本から城が消える』というタイトルどおりの懸念が現実化する実態に警鐘を鳴らしています。

新刊書ですから、これ以上、“ネタばれ”になる感想は申し上げられませんが、先生ご自身の懸念に対する「結論」とは別に、私なんぞはもう一つ、別の「結論」もありうるような気がいたしました。

…          …

と申しますのは、「コンクリート天守」を抱えた県庁所在地などの自治体は、住民の根強い願望(やはり天守閣は欲しい…)と法律との板ばさみになったあげく、やむなく、苦肉の策に突き進むのかもしれない、という悪い予感です。

――― すなわち、現状の「コンクリート天守」の延命化を、何が何でも、どんな手を使ってでも、新しい建築技術や法の網の目をかいくぐる裏の手段を使ってでも、永久に、頑(かたく)なに続けるだけではないのか… という、ゾッとするような「結論」が頭に浮かんだのです。

勝手な妄想で申しますと、例えば、寿命が近づいた「コンクリート天守」を部分的・計画的・段階的に改修して行って、いつの間にか、それが新築同然!の別のコンクリート天守に“すり替わっている”などという画期的な新工法が開発されるのは、そう難しい話でもないように感じるのは、私だけでしょうか。…


【ご参考】旧川崎銀行の外壁だけ残して近代化された日本興亜損保横浜ビル

これほどの技術なら「昭和のコンクリート天守」を未来永劫、残すことも可能なのでは?…




おきて欲しくない、実に悪い予感ですが、こうした技術を応用して、あくまでも「改修だ」と言い張れば、加藤先生が指摘された法律上の様々な制約には引っかからずに済むのではないかと思われますし、あとは予算と住民願望との折り合いだけで、その結果は、史跡のど真ん中に「昭和のコンクリート天守」が日本の城郭建築として固定化するという、おぞましい未来像が頭に浮かんで来て、それはひとえに現行の「法律」がそうさせるのだ、という点を叫びたくなりました。

ひょっとすると、文化財保護法や建築基準法は、城の分野においては、かつての徳川幕府の「一国一城令」に勝るとも劣らない! 歴史的にいちばん“強固な法令”になって行くのかもしれません。


で、さらに問題なのは、そんな状態が悪いこととは感じない人々が日本社会の多数派かもしれない… とりわけ「天守閣」などは、それでいいじゃないか、と言う人が多いのかもしれない、という絶望的な気分もぶり返して来たのです。


思えば、今年春に耐震改修を終えた小田原城天守閣も、ちょっとそんな印象を感じさせるもので…


(※写真は産経ニュース様より引用させていただきました)

この際、極端な言い方でたいへんに恐縮ですが、おそらく「コンクリート天守」というものは、薬物などと同じで、一度やったら止められない、という類いの強い“魔力”を持っているのではないかと、常々、私なんぞは感じております。

つまるところ、戦後の日本的な民主主義のもとでは、<コンクリート天守の木造再建> などという社会や時代のスケールを超えた難問は、きっと名古屋市の河村たかし市長のような独善的な政治リーダーがいなければ進まないし、解決の道筋も付けられない政治案件なのかもしれません。

――― そこで、さもなくば私なりの一案として、現状維持を旨とした「文化財保護法」に加えて、学術的に間違った現状を、より正しい旧態に戻すことに強力なインセンティブを与える「文化財<保全>法」とでも言うような新法が必要かと思うのですが、どうでしょうか。






作画と著述=横手聡(テレビ番組「司馬遼太郎と城を歩く」ディレクター)


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※本日もご覧いただき、ありがとう御座いました。